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Q & A



仏 壇 は?
仏壇は宗派によってご本尊様が違い、祀り方も違いますので、お寺のご住職様か仏壇屋さんにご相談下さい。仏壇は各家庭のご先祖様をお祀りしますが、親戚や他人の霊をも仏壇で供養をなさっている方がいらっしゃいます。しかしこれは間違った祀り方で、あくまでご自分のご先祖様だけを仏壇でお祀りして下さい。

仏壇は新しい仏様がいない場合は、お祀りをしなくても良いと思われていますが、誰にでもご先祖様はいらっしゃいます。先祖代々のお位牌を作ってお祀りなさって下さい。
女性は嫁がれた家のご先祖様をお祀りします。自分の実家のご先祖様を祀るのは跡取りの方です。しかし跡継ぎがいない方もいるでしょう。その場合は、お寺へお位牌を預けて下さい。嫁ぎ先でどうしてもご供養をしたいという方は、嫁ぎ先の仏壇と違う部屋へ祀っても良いと言われています。しかし毎日のお勤めなどは、嫁ぎ先の佛壇を先に行って下さい。


お経は何がいい?
仏壇などでお経を唱えるときは、各家庭の宗派のお経を唱えます。宗派のお経本が売っておりますので、それを購入なさったら良いと思います。もし宗派が判らないときは、お寺さんへお聞きになってから購入をして下さい。お経本に載っているお経を全部唱える必要はなく、ご自分で良いと思うお経を唱えて差し支えありません。
もし宗派が判らない方は、観音経や般若心経が載っているお経本をお進め致します。観音経や般若心経は宗派に関係なく、唱えられていますので、宗派を気になさることなく唱える事ができます。


水 子 供 養
水子は祟ったり、怨んだりしません。忘れて欲しくないと言うほうが適切かもしれません。水子を忘れることなく「産めなくてごめんね。」と心から謝って、手を合わせる事が大切です。

水子は成仏しないと言う僧侶がいますが、これは間違いです。供養を重ねて行っていると、必ず成仏をします。お寺さんにお願いをして供養をしたり、機会があるたびに手を合わせて成仏を祈って下さい。例えば仏壇を祀っているなら、毎日お線香を手向けるときに成仏を祈ったり、お寺へ行かれたときや水子地蔵様、水子観音様などがありましたら、手を合わせて成仏を祈って下さい。。


宗教違いの神社仏閣めぐり
宗教は全く関係なく、神社仏閣を参拝されて差し支えありません。お寺で手を合わせる事もお札やお守り、おみくじも授けて戴いてかまいませんし、お賽銭も大丈夫です。

仏様は差別をしません。差別をしているのは人間なんです。ですから気になさらずにお願い事もしてかまいません。神様、仏様とご縁を戴けるということは、とても良いことで素晴らしいことです。どんどん神社仏閣を巡って下さい。


お釈迦様時代になかったお経・先祖供養・お葬式
お釈迦様は弟子達にお葬式をさせませんでした。あくまでも自分を悟りに到らせるのが目的でした。

先祖供養は、日本の祖霊信仰と結びつき、葬儀は儒教からきています。儒教は神主・木主という木片に亡くなった人の名前を書いた物をお祀りするという事から位牌が出来たようです。

お墓もお釈迦様の遺骨を舎利としてお祀りしているように、先祖の遺骨も舎利として崇め、守護霊に転じるようにという事です。

お経は、お釈迦様のお弟子さんが、お釈迦さまの教えをまとめたものです。ですからお釈迦さまが入滅をなさってからできました。というように他の宗教との関係やその国の古くからあった信仰と結びついて出来た行事があります。日本だけではなく他国にもこういう事があると思います。


羯磨衣と多羅とは?
観音様だけでなく、菩薩の服装は出家前のお釈迦様、つまりインドの貴族の姿と言われています。

多羅は多羅観音の事で、これは三十三観音のうちの1人です。三十三観音と言いますのは、聖観音様が三十三のお姿に変化して、現れた観音様のことです。

多羅とは、インド名で星または瞳という意味で、聖観音様の瞳から放たれる大光明より出現した女性の観音様です。豊満な肉体で人を引き付けて救済すると言われています。

羯磨衣(かつまい)は、天部などの女性形の仏様が着ています。女性形は襯衣(しんい)という下着の役割をするものがあり、その上に着るのが羯磨衣で、上着と思って下さい。


タントラとマントラそして密教の性に対する考え
マントラは真言のことです。仏様のはたらきや誓いを現しており、これはサンスクリット語です。
例えば オン カカカ ビサンマエイ ソワカ(お地蔵様)といったようにです。

タントラはもともとはヒンドゥー教の聖典を指す言葉のようですが、それだけではなく実践方法に関する規則、仏様を祀る具体的な方法、経典や曼荼羅も入るようです。実践面の次第のようです。

ご回答 梅原總山様(梅原總山墓相研究所)
タントラとは、元来、織り機とか「経糸(たていと)」の意味です。
スートラ「緯糸(よこいと)」が、宗教の教理的なものを主として述べる「経典」の意に対して、実践面の規約に重点を置いて制作された聖典がタントラです。
すなわち、経糸と緯糸があって、はじめて布が織れるように、教理の理解と実践によって悟りを目指すということです。
また、チベット密教は、別名タントラ・ヤーナと言われるだけに、密教経典のすべてを指してタントラと呼ぶ場合もあります。また、一般には、行作(クリヤー・タントラ)、祭事(チャリヤー・タントラ)、瑜加(ヨーガ・タントラ)、無上瑜加(アヌッタラヨーガ・タントラ)に分類しています。

また、ヒンドゥー教の解釈では、tan(弘める)と、trana(救う)の合成語と解釈され、「教えを広めて人を救うこと」とされています。以上が一般的な解釈ですが、

>男性と女性は両極のエネルギー
という書き込みから「性魔術」としてのタントラに対する質問と思います。
元々の起源は定かではないのですが、7世紀頃に「タントラ教」という教えがあり、ヒンドゥー教と密教に少なからず影響を与えたようです。
タントラ教は、右道派と左道派にわかれています。右道派では、身体エネルギーを管轄する六つのチャクラがあり、最下部のムーダラーダ・チャクラには、宇宙エネルギーを象徴するクンダリーニ(蛇)にがいて、呼吸の調整に基ずくヨーガを行ずることにより、クンダリーニを目覚めさせ、次々とチャクラを通過しながら上昇し、最上のサリスラーラー・チャクラからブラフマンと合一することによって解脱する、と説いています。

左道派では、男女間の交接を通じて、感覚と情欲を制御せずに自由に活動させ、欲望自体の空虚さを自覚した後に、欲望そのものの上に立つ自我を破壊する、と説いています。
また、この左道派は「真言立川流」として、鎌倉時代には日本でも結構な勢力を持っていたと言いますが、排斥運動によって江戸時代に至る頃には衰退したと言われます。


狐憑きや憑依霊とは?
憑かれるということは、成仏していない霊が人間を媒体として自分の意思表示をすることです。
供養をして欲しいとか生前に出来なかった事を代わりにして欲しい、恨みを持っているなら、その悔しさを判って欲しいなど色々です。

狐憑きは狐や狸は人を化かすと言われていますので、村人におかしな行動をする者がいると、狐に憑かれたというふうに言われていたそうです。挙動不審からきたことではないかと思います。


仏様の地位は如来・菩薩・明王・天部での順番は?
大日如来は密教の最高仏で、宇宙の真理を神格化した仏です。大日如来から他の如来・菩薩・明王が現れ、大日如来の徳の一つを現しているという事です。
簡単に言いますと、大日如来がお母さんで、他の仏達は子供という事になります。ですから大日如来は最高仏という事になります。

化身は仏様が衆生を教え導く為の手段として、姿を変えて現れたものなので、位がないとそのサイト様はおっしゃったのだと思います。
しかし、如来は悟りを得た聖者、菩薩は衆生救済をしながら自分の修行もしているという修行の身、明王は仏様の使者、天部は仏教に帰依をし、仏法守護や信者の守護というように役割がありますので、区別をされた方がよろしいかと思います。


一代守り本尊とは?
一代とは、その人だけの守り本尊です。ここで言っている意味は、子年には千手観音、丑と寅年には虚空蔵菩薩といったように、干支に配されている仏様がおりまして、生まれた年の仏様が守って下さるということです。一代守り本尊が判れば、その人の干支が判ってしまうのです。


石で出来たアクセサリーの力と効果は?
これはパワーストーンのことです。
1.パワーストーンは仏様が宿っているのではなくて、石が持っている力を借りるというものです。全ての石には意味があり、願望によって身に付ける石を決め、石の力を借りるということですが、仏様の功徳を頂くのと同じで、自分自身も努力をしなくてはいけませんよ。自分の努力に石の力が合わさり願望を達成するのです。

2.石にはパワーがあるとされています。赤は活力を増進、ピンクは恋愛関係で、素敵な人と出会いたい時に、自信がもてるようになりたい時は緑色や黄色という事です。
しかし、持っているだけでは石の力を貰うことはできません。仏様の功徳を戴くのと同じで信じることと、自分自身の努力と石の力の相乗効果で良くなっていくのです。

そのままでは石のパワーは戴けません。買いましたら必ず浄化をして身につけたり、持ったりして下さい。浄化の方法は午前中の太陽に2,3時間当てる。お塩の中に入れる。月の光に当てる。奇麗な水で洗う。お香を焚いて、煙の中に通すなど色々ありますが、石によってはお塩や太陽などに当てると弱ってしまうので、相応しい浄化をなさって下さい。


肉体と魂の関係は?
肉体は魂が修行の為に宿る、仮の姿とされています。輪廻転生という言葉がありますが、生まれ変わりを繰り返し、善行を積んで仏となり、魂は輪廻のない悟りの世界へ至ることを目標としているのが仏教です。つまり、体は修行のための仮の姿なのです。

魂は最終的に神の世界へ行くのが目的で、そのために前世で足りなかった部分を補うために、生まれ変わりをし、修行をすると言われています。そのための修行の姿が肉体なのです。


神社と神宮の違いは?
神宮も神社も社号です。明治の制度で社号の一定基準が確立されたそうですが、戦後は神社側の意思で変更した所もあるそうです。

神社は御神体をお祀りする場所として本殿、御神体を拝むための拝殿が造られたものです。本来は土地と結びついている神様をお祀りしていたそうですが、時代の流れとともに霊力の強いと思われる神様も、祀られるようになったということです。

神宮ですが、伊勢神宮のみに用いられていました。伊勢神宮の正式な呼称は「神宮」だそうです。伊勢神宮はアマテラスオオミカミがお祀りされていますが、天照大御神は皇祖神、つまり皇族の先祖です。

ちなみに神主は、神様と衆生の仲介役で、衆生に代わって神様に奉仕を行い、時として神様の意思を神主を媒体として、衆生に伝える役目も果たしているといいます。

宮司は、神職の長のことで、すべての神社のトップのことをいいます。神社の祭祀の長として、管理運営の責任者であり、宗教法人の代表役員を兼ねているということです。


写経の意味は?
本来、写経は印刷技術がなかった時代に、僧侶が仏様の教えを学ぶために、自分で経典を書き写すことでした。
現在の写経は、願い事が叶うようにと仏様に願いを込めて行い、功徳を戴くのです。そして、一字一字集中する事によって、心を安定させ、穏やかになる事も目的としていると思います。

目まぐるしい時代で、時間に追われているような生活の中、ほんの一時でも安定した静かな時間を過ごしたいものですね。そういう意味で写経は相応しいのではないでしょうか。


どこが正しいの?
お経はお釈迦様が説かれた事を、弟子達がまとめたものです。煩悩を絶ち悟りの世界に到達するには、どうしたらよいかということ、或いは仏様を信じたなら、どれほど素晴らしい功徳を戴けるかという事などが説かれています。

一つのものだけが正しいという事はありません。各宗派はそれぞれに根本の経典が違い、教え方は違いますが到達点は同じです。ですから、そこだけが正しいという事はありません。
曼荼羅はインドが発祥地ですから、ヒンドゥー教の神々が取り入れられているのです。


一定期間過ぎた魂は?
亡くなってから33年以上経った御霊は祖霊になり、子孫を守ると言われています。

仏教では三十三回忌で神上がりになるので回忌法要は終わりですが、50回忌に杉塔婆を立てる地域もあります。生まれ変わりは、普通亡くなった年齢の倍の年数がかかるそうです。


無縁仏のご供養は?
ご回答 梅原總山様(梅原總山墓相研究所)
無縁仏様を大切にすることはとても尊い行為です。決して、悪霊でもなければ、危険な仏でもありません。しかし、在家者にはお参りの作法があります。
 1,絶対にお願い事はしないこと
 2,墓石を指ささないこと
 3,悪口をいわないこと
 4,墓石を一人で触らないこと
 5,感情を入れすぎないこと

亡くなられた方には、ご供養が必要です。無縁仏は供養してくれる人のいない可愛そうな仏様ですから、ご縁がありましたらお線香を手向けてあげたいものです。(道慧)


ご縁日とは?
縁日は神仏の降臨や成道に当たる日のことをいい、この日に参拝をしたら神仏とご縁を結ぶことができて、功徳を頂けるということです。

配当は三十仏といいまして、罪障消滅と先祖供養のために、毎日一仏を供養したという事です。これは中国の山戒禅師(ざんかいぜんじ)が始められたそうです。だいたいご縁日が関係して配当されています。


神棚の向きは?
神棚の向きは下記の方角へ向けて下さい。(仏壇も同じです。)

北を背に南向き
西北を背に東南向き
西を背に東向き

いけないことは
東北は鬼門、南西は裏鬼門になりますので、この方角へ向けたり、設置したりしないで下さい。神棚の下を人が通るような場所へお祀りするのは凶です。

2階が押入れなどで人が歩かない場所は良いのですが、人が歩くような場所は天上に『雲』と書いた紙を貼ると良いとされています。


回忌の数え方は?
お亡くなりになった年を一年と数えますので、翌年の祥月命日が一周忌。その翌年が三回忌になります。
例:平成15年にお亡くなりになった方は、一周忌が平成16年 ・ 三回忌が平成17年 ・ 七回忌が平成21年 ・ 十三回忌が平成27年となります。


日本の葬儀では、なぜ黒なの?
インドでは茶褐色ですが、中国に仏教が入って黒染めになりました。これは道教の影響が大きいようです。仏教伝来とともに衣の色も日本へ伝えられました。

昔は祝儀・不祝儀とわず儀式の時は、黒白の幔幕(まんまく)だったそうで、黒と白は色の根源なので正式な儀式のときに使われたそうです。
僧侶は下に白衣を着て上に黒の法衣を着ますが、生と死の両方の世界にかかわる者を意味しているということです。


「経営」という言葉は、経典にある?

正法眼蔵(しょうぽうげんぞう)という、道元禅師がお説きになられた言葉をまとめた書物の中の座禅箴(ざぜんしん)という中に書かれています。
ここでは真実の座禅を説いておられ、日常生活・行・座る事など全てが禅であり、悟りという特殊なものを目的とした者が座禅をしても、それは正しく伝わった真実の座禅ではないと説いておられます。禅は心を統一し、安定させ感情を静めて、智慧を身につけ真実の法を体得することが目的ですので、自分自身を高めていくには適しています。そこから人格形成という事で使われたと思います。

座禅箴とは医師の病根治療に用いるハリ針石のことである。
その箴の意味を仏道の箴規(しんぎ)、箴誡(しんかい)とも運用し、「教え」「誡め」とも訓ずるので、座禅の有り方の病を治す誡めとする義から名づけられたものである。

唐の僧、薬山禅師が座禅をしておられる時、ある僧が「山のように不動の姿勢で座り込んでおられるのは何を考えておいでなのですか」と尋ねると禅師が「何も考えない」と答えました。僧が「では何も考えないと言う事はどういことですか」と聞くと禅師は「考える事を超えた境地なのだ」とお答えになったそうです。


お不動様の真言の意味は?
ノウマク サンマンダバ ザラダンセン ダンマカロシャダ ソワタヤ ウンタラタン カンマン

これは真言(しんごん)と言いまして、サンスクリット語です。仏様を現す言葉・はたらきを現す言葉・真実の言葉で、これを唱えると災難から守って下さると言う事です。

「諸々の煩悩を除くという変わる事のない、偉大で固い意思を持ち、時が移り変わっても、諸々の煩悩を清め、ただ彼岸(悟りの世界)に至らせるぞという荒々しい怒りを現している」


なぜ仏様には、いくつもの名前があるの?
仏様の名前が違う理由は
@経典によって名前が違います。例えば伐折羅大将は「陀羅尼集経」「妙見菩薩神呪経」「薬師観行儀軌」という3典ではそれぞれ名前が違います。

Aインド名でそのまま現されたり、訳された名前で現されたり、密教の名前で現されたりしますので、同じ仏様でも違った名前になります。
この2つの理由が大きな理由と思います。


尊勝仏頂陀羅尼と仏頂尊勝陀羅尼の違いについて
尊勝仏頂陀羅尼と仏頂尊勝陀羅尼は同じものです。
仏頂尊勝(尊勝仏頂)という仏様の悟りや功徳を説いた陀羅尼です。この仏様は胎蔵界曼荼羅の釈迦院に出てくる仏様で、功徳は一切の煩悩を捨て除き、徳を司るということです。


仏眼の意味について
佛眼は仏の目です。五眼というのがありまして、
1.
肉眼 私達、衆生の眼
2.
天眼 天人の眼、衆生の未来の生死がわかる眼
3.
慧眼 一切は空であると見抜く眼
4.
法眼 菩薩が衆生救済の為、法を正しく見る眼
5.
佛眼 1〜4まで具わった仏の眼
佛眼は悟りを開き、全てを見て一切を知る事の出来る眼です。
そして、この場合は佛眼尊の事と思いますが、上記の五眼の徳を持ち、仏の智慧を象徴とした仏です。この尊から仏が生まれるということで、仏眼仏母とも言われています。


不動経に書かれている『大智慧』と『大智』の違いについて
大智慧は衆生を悟りに入らせる為の智慧で、大智は広大な智慧と言う意味です。
衆生を悟りに入らせるために智慧の大火焔を現し、煩悩を焼き尽くして悟りに入らせる。お不動様の持っている剣は広大な智慧の剣であるから、貪瞋癡(三毒)を滅ぼすのです。


千手観音様に持物が持たれるようになった由来について
観音様は衆生がこの大悲心陀羅尼を読誦をしても「〜できなかったら正しい悟りを得ません」という誓いを立てました。例えば「衆生がこの陀羅尼を読誦して、地獄・餓鬼・畜生の世界へ生まれ変わったら、私は正しい悟りを得ません」というふうにです。これを象徴しているのが持ち物です。観音様の誓いを持ち物で現しているのです。全ての衆生を残らず救うということで、千手とは数ではなく無限と思って下さい。
観音様の誓願、観音様の名前を聴き、観音様を見て、さらに観音様を念ずるとき、この世において観音様は衆生の全ての苦悩と生活のわずらわしさを消滅させる。ということから、衆生を哀れんで、慈しみ手を差し延べて下さる。これが慈悲です。

宮殿手の胎生(たいしょう)の胎とは母胎のことで、生は生まれるです。文の意味は母胎に宿らない、胎内から生まれないようにするということです。母胎から生まれるということは、苦しみのある世界に生まれ変わるということですので、苦しみのある世界へ生まれないようにするには母胎に宿らないようにする。それを宮殿手にお願いをしなさいということです。
人間や獣は煩悩がある為、生まれ変わりをすると言われています。これを輪廻(りんね)といいます。煩悩をなくし悟りを得たなら仏の世界へ身を置く事ができ、安らかに暮らせるということです。


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