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毘盧遮那如来
大日如来
びるしゃなにょらい
(だいにちにょらい)



金剛界毘盧遮那如来        胎蔵界毘盧遮那如来
オン バサラダトバン        オン アビラウンケン

     
山崎祥琳様 作


梵名はマハーヴァイローチャナ・タターガタといい、大毘盧遮那如来と音写している。
マハーは『大』 ・ ヴァイロチャナは『光』を意味し、中国では遍光・普照と漢訳。タターガタは如来という意味なので『偉大なる光の仏』ということになります。
大日如来という尊名は『日』は太陽を現しています。
太陽の光は影を作るし、夜は光を照らさない。しかし、大日如来の智慧の光は昼夜とわず照らし、影を作らず平等に照らすことから、太陽を超えるという意味で『大日』と名付けらました。

如来は普通、装飾品を一切付けず、法衣を身にまとっているだけだが、大日如来は宝冠をかぶり、腕飾りや胸飾りをしていて、天衣を着ているという菩薩と同じ姿である。それは宇宙全部を支配者、全知全能の主君に見立てる思想のためであるという。
装飾は仏・菩薩の智徳を現すものとしている。
宝冠は如来の中の最高の如来を現し、髪が長いのは現世界での衆生救済を表している。

密教では毘盧遮那如来が宇宙そのものであり、真理そのものである。これを法身仏(ほっしんぶつ)という。
そして、大日如来の教令身(きょうりょうしん)が不動明王なのです。
☆法身仏=法を身体としている仏のこと。
☆教令身=教化しにくい衆生を導くために、仏が方便として現した姿。

明治に神仏分離令により、神道と仏教が分けられるまで大日如来は天照大神と同一視されていた。天照大神は衆生を救うため、大日如来の仮の姿だと考えられていたという。

毘盧遮那如来には二種類あります。
それは、金剛界の智法身(智慧)と胎蔵界の理法身(真理)があり、密教ではどちらも不可欠なものであるから理智不二をもって教理の根本を説くので形に二種類あります。

『金剛界毘盧遮那如来』
金剛頂経の教主。智拳印を結んでいるのは、智慧の世界を現しているという。体の色は白色で五智の宝冠をいただいています。

金剛頂経には毘盧遮那如来と大毘盧遮那の区別がされています。
毘盧遮那如来は大毘盧遮那の報身仏で、大毘盧遮那は金剛界曼荼羅そのもの。曼荼羅本体が大毘盧遮那であり、真理そのものが大毘盧遮那になります。諸仏・菩薩は毘盧遮那から出生したとされています。
法身仏である大毘盧遮那が自己展開する場合は、動く事のできる他の作用が必要なので、それが色界に住んでいる毘盧遮那如来なのです。

金剛頂経では…
大毘盧遮那は一切如来たちから堅固な智慧を加持され、その象徴である宝冠を頭上に載せられ、それによって三界の法王の位に登るべき地位を得ている。そして平等なる状態に到達をしていて、衆生を救うための能力を獲得しており、一切衆生をことごとく救済する者で、過去・現在・未来に住んでいる。
住んでいる場所は色界の最上である色究竟天王の宮殿に住んでいる。そこは摩尼宝を散りばめ、掛けている鈴鐸は微風に揺られて音を響かせ、色とりどりの幡や華鬘、瓔珞などによって荘厳されているという。

金剛界の大日如来は、各会ごとに特徴があります。

成身会 一切成就義菩薩が修行の結果、迷いを断ち、毘盧遮那如来となった姿。
三昧耶会 毘盧遮那如来の衆生救済の願いが仏塔として示されている。
微細会 どのような煩悩にも砕破されない毘盧遮那如来の智慧が、目に見えない
いかなる微細なものにも行きわたっていることを現した大日如来。
供養会 一般の如来を同じ出家者の姿で現されている。
螺髪は供養行為の大切さを表しているので、毘盧遮那如来は供養の実
践のために身を変じることにより、人々が菩提心に振り向くように現
わされている。
降三世会 過去・現在・未来の強力な煩悩に敢然と立ち向かう姿勢を現してい
る。
四印会 悟りを得た結果の装飾された姿。
一印会 曼荼羅全体で示された毘盧遮那如来の世界を一尊で現そうとしたもので
智徳・福徳を円満した姿。


『胎蔵界大日如来』

大日経の教主。法界定印を結んでいるのは、悟りの境地を示しているという。
座禅の時に結ぶ印です。
大日経疏では『白蓮華の上に悟りを現す阿字が輝く。その阿字が変じて大日如来となる。その身体は金色に輝き、頭には髪髻の冠を頂き、薄い絹の衣を着けている』と記されているそうです。

胎蔵界の大日如来は、智慧の光は影日向を作らずに、全てを明らかに照らし、人々に及ぶ。慈悲の働きは曇ることもさえぎられることもなく、あらゆる人に及ぶ。慈悲の心と智慧は昼夜関係なく働き、永劫に尽きることがないとう如来です。

普通、如来は装飾など一切付けていませんが、大日如来は宝冠を頂き、瓔珞を付けています。それは菩薩の精神を根本とし、世間に出て衆生救済の活動を理念としている。
そして、飾りは仏の知徳・福徳を現すもの、瓔珞や宝冠は如来の最高位を示し、髪を伸ばしているのは現実の世界で衆生救済を実践するという誓願という。