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十  三  仏
じゅうさんぶつ


十三仏は、胎蔵界曼荼羅の十三大院を形どられて作られたもので、一切の仏を代表し、統一させるものです。
中央に大日如来・北方に釈迦如来・東方に阿シュク如来・南方に宝生如来・西方に阿弥陀如来の五智如来と、東南方に普賢菩薩・西南方に文殊菩薩・西北方に観音菩薩・東北方に弥勒菩薩の4菩薩。天位に虚空蔵菩薩、地位に地蔵菩薩・薬師如来・不動明王を配しました。
中央の大日如来を金剛界の大日如来とし、他の十三仏を胎蔵界から取ったのは、金剛界・胎蔵界の不二の玄理(奥深い道理)を現したもので、ようするに密教の両部曼荼羅を縮小して、その精神を顕したものです。年忌法要が行われるようになったのは、南北朝時代といわれ、その本尊に配せられたのは後世のことです。


初七日から七七日(四十九日)までは、インドでも行われていたそうで、百ヶ日・一周忌・三回忌の法要は、儒教の喪制にならったもので、七回忌からは日本独自のものだそうです。

百ヶ日・一周忌・三回忌のことは、礼記という儒教学者がまとめた、さまざまは行事の中で決められている動作、言行、服装、道具などを総称している書物に書かれているということです。

初七日から7日ごとの忌日と、儒教の喪制の百ヶ日・一周忌・三回忌を合わせて十種の仏事が、道教の十王信仰と融合させて、十王斎となりました。
地獄にいる十王が死者を裁くので、それぞれの王の本地となっている仏を供養して、裁きを穏やかにすます事を願って行うといいます。

王の裁きに間に合わせないといけないので、祝い事は延ばしても、法事は延ばしてはいけないが、早くすることは良いとされています。


お断り:仏・菩薩の解説は、種字である梵字が関わっている意味ですので、下記のこと以外の詳しい解説は判りませんので、ご了承下さい。

本地仏とは、十王の本当の姿という意味です。例えばお不動様が冥土に現れるときは、秦広王の姿となって現れるので、秦広王の本当の姿はお不動様という意味です。

回   忌 本地仏・十王 解   説
初 七 日
不 動 明 王 種字は因業のカ字で、その意味は来世の種になり、また修行をして悟りの境地を具えているので、心が静かに安定している状態と解脱門の2点があり、一息納まる処にしてお不動様の根本道場が遍く十方に至るという。
安定した心は勝れており、その黒い色は差別することなく、正しい見方を現して火炎は荼毘の火であるという。
秦広王(シンコオウウ) 仏・菩薩が衆生を慈しみ憐れみ、お互いの心が融け合い、親しみがある広大な本性を現すことを不動本所遍至十方といい、お不動様の根本道場が遍く十方に至るということです。身に法衣法冠をつけ、慈悲の相をしている。
二七日(14日) 釈 迦 如 来 種字であるバク字の中に煩悩を断ち切った涅槃点(梵字中にある点のこと)があります。三界(衆生が生まれ変わりを繰り返す世界)の煩悩を離れて悟りの境地に入る法王がいるというのは、まさにバク字に当たるという。
初江王(ショエオウ) この冥土に至る三途の川の初めに住んでいるので、初江王という。身に法衣法冠をつけ、怒りの相をしている。
三七日(21日) 文 殊 菩 薩 種字であるマン字の中にマ字があります。これは智の異なった独自の姿(仏の智慧のこと)を表し、正しい智慧の働きが円満なので、十方が空であるという点(梵字に)がある。
智があれば理(真理)があるので、次に普賢菩薩がいます。
宋帝王(ソウテイオウ) 聡明で賢い謀(ハカリゴト)をして、冥官の崇拝を受けているという。身に法衣法冠をつけ、正しい悟りの智慧が円満な相をしている。
四七日(28日) 普 賢 菩 薩 種字は至る所に遍満するのアン字で、理(真理)が無限という意味です。理の司る処は、大地なので次に地蔵菩薩がいます。
五官王(ゴカンオウ) 五刑の刑罰を司り、真理の無限を現している。身に法衣法冠をつけ、理と智慧の相をしている。
五七日(35日) 地 蔵 菩 薩 種字のカ字は地すなわち蔵なので、来世で報いを生ずる種となる。先人が撒いた種(報いを生じる)を拠り所として、諸々の種が含むというものです。しかしその種(因)に心法があるので、次に弥勒菩薩がいます。
閻魔王(エンマオウ) 炎摩・閻魔羅ともいい、訳して『縛』といいます。罪人を縛るという意味で、この王は苦楽の二報を受けるので双世(ソウセ)、又は平等に罪を治すので平等王ともいいます。十王の総主で、悪業を断じて悟りに至らせるという。身に法衣法冠をつけ、右手に剣を持ち胸につけ、左手は掌を外に向け開き、苦楽の二相を現している。
六七日(42日) 弥 勒 菩 薩 種字は乗のヤ字で、すなわちあらゆる事物は、1つに納められているに乗じている。比喩のウー点(梵字で)を加えるのは、比喩によって煩悩の病を治すので、次に薬師如来がいます。
変成王(ヘンジョウオウ) 真実が無明の縁に従って、諸現象を生じて生身となるので、変成王と名づけた。慈しみ・憐れみに矛盾する一心の異名がある。すなわち心に法を植えつけるということです。
七七日(49日) 薬 師 如 来 種字に自在の点がある。内面の悟りが朗かなら、外部に現れる働きも自在という。この時に話・口説が自在になるので、次に観音菩薩がいます。
太山府君王
(タイザンフクンオウ)
閻魔王の太子で、敬う者は神沙大王と言っている。常に閻魔王の傍らにいて、人の善悪を記す役です。大海のわずかな露もいとわず、塵も積もれば山となるように、少しの悪をも記すので太山王という。身には法衣法冠をつけ、前に紙を置いて筆を持っている姿。
百 ヶ 日 観 音 菩 薩 世間の音(声)を観じて悟りに至らせるので、種字はサ字です。明らかなものを見て、声を聞く所にしたがって自在である。必ず威勢から出てこられた故に次に勢至菩薩がいる。
平等王(ビョウドウオウ) この王は世の音を感じて、平等に悟りに至らせるので平等王という。善悪亡人に子供のような慈悲を垂れ、平等に悟りへ至らせます。その相は慈悲円満にして、法衣法冠を身につけ、両手の掌を組んで膝の上に置いている。
一 周 忌 勢 至 菩 薩 種字は声を聞いて悟れば、涅槃に住むが故に三諦のサ字に涅槃の遠離点がある。遍く一切を照らし、地獄・餓鬼・畜生界を離れさせる。地獄・餓鬼・畜生界を離れさせるという1つ1つの目的を成就するが故に、命が無量にして、阿弥陀如来がいます。
都市王(トシオウ) 遍く一切を照らし、地獄・餓鬼・畜生界を離れさせて、悟りの境地を得させることを本誓としている。身に法衣法冠をつけ、筆を持って記す姿。
三 回 忌 阿弥陀如来 種字には風大のカ字に火大のラ点。遠離の涅槃点がある。これは風大の災いがない故に、永く身心の悩みを離れるというものです。寿無量にして三世を移動するが故に次にアシュク如来がいます。
五道転輪王
(ゴドウテンリンオウ)
地獄・餓鬼・畜生・人・天の5つの世界のちまたに住んで、衆生の悪業を破るので五道転輪王という。現在・過去・未来の三世に移転しない。身に法衣法冠をつけ、悟りの境地の相を現している。
七 回 忌 阿シュク如来 種字には因業のカ字に損滅点があり、空点もあります。絶対的に変わることのない真理に入り、全てのものの真実は初めから限りないといいます。この時に明暗がないので、次に大日如来がいます。
蓮上王(レンジョウオウ) (日本独自の配列で、この王の意味は判りません。)
十三回忌 大 日 如 来 五智の総主諸尊の中心にいるので、大日という。種字はバク字。水と土が一体で、十方世界が空であるとということが円満なので、空点があります。発心の修行処に生ずる事も滅する事もないという理にあるので涅槃点がある。広大な仏・菩薩の智慧が遍く照らす法界といい、大日如来の周辺が法界になれば、次に虚空蔵菩薩がいます。
抜苦王(バックオウ) (日本独自の配列で、この王の意味は判りませんが、名前の如く、苦を無くすという事と思います。)
三十三回忌 虚空蔵菩薩 種字は真実の姿の心法でタ字です。煩悩は物質であり、精神の修行は、全て遠く離れる。すなわち煩悩を無限に断つことができる。故に追善供養の完成の本尊とする。
慈恩王(ジオンオウ) (日本独自の配列で、この王の意味は判りませんが、慈恩という意味は、阿弥陀如来の恵みという意味だそうなので、阿弥陀如来のお慈悲が頂けるのかもしれません。)