×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


写経ってな〜に?
写経は、印刷技術がなかった時代に教えを学ぶため、僧侶が自ら経典を書き写したのが始まりです。お釈迦様が入滅後、口伝で伝えられた教えに間違いがないか確認するために弟子達が集まり、修正をして経典を作りました。それ以後、弟子達が修正をした経典を書き写していったのが、写経の始まりです。

現在では、精神的に落ち着きたい、悩みがあって解決をしたい、自分自身を見つめ直したり、気持ちを切り替えたい。あるいは先祖供養、家族の健康や家内安全、心願成就などを願って、写経をされる方が多くなりました。

雑念を取り去って、ひたすら書き写すことで、日常とは違う時間の流れに身を置き、一文字一文字書き写すことによって、心が清められることでしょう。

写経の代表的なものは般若心経ですが、観音経や不動経もあり、特に決められていませんので、書きたいお経や信心している宗派のお経を書き写しても良いのです。

ちなみに朱印ですが、写経を納経したという証明書でしが、今ではどこの神社仏閣でも授けて頂けます。

写経は難しいものはなく、誰にでも書けます。思い立ったら始め時。形式に拘らず、一文字一文字丁寧にゆっくりと書き写す事から始めましょう。

                     

写経というと、やはりお経ですね。お経のことにも触れます。
お経は、サンスクリット語でスートラの漢語訳です。スートラとは、糸・紐という意味で、織物の糸が真っ直ぐ正しく続いている事から、真理を意味します。

古くは宗教儀礼を規定する簡潔な要領を書き示した書物がスートラと呼ばれ、数語からなる短文の集まりでした。簡単すぎて、それだけ読んだのでは理解が出来ないものが多いのです。これは学生が暗記をするためにのものであり、必ず注釈をつけて学ぶのです。

お経は、お釈迦様の教えですが、お釈迦様が書いたものではなく、お釈迦様が亡くなられた後に言葉で教えを伝えられたお弟子さん達が集まり、お釈迦様の教えて確認し合った。この時に確認された教えが、お経の元になりました。

サンスクリット語は地方語なので、布教を第一に考えた仏教は、世間一般に知られたいたパーリ語を使用しました。南方では貝葉とい多羅樹の葉を、北では樺の皮などの樹皮や獣の皮に書かれました。

                     

お釈迦様が布教をしていた頃は、東インドのカンジス河流域まで広がり、没後はアショーカ王が伝道師を派遣した事により、インドのほご全域を統治し、スリランカ・ビルマ・タイまで広がり、中国へは紀元前後、西域の貿易路をたどって伝わりました。
当初の中国では、中国人に受け容れられず、中央アジアからの移民や商人の間で奉信されました。やがて移民が母国語を忘れるようになると、お経を訳す必要が出てきて、中国人の信者も現れ、お経の漢語訳が必要になったという事です。

日本に仏教が伝わったのは、538年に朝鮮半島の百済王から、膨大なお経や仏像が天皇へ献上されました。仏教を公認するかで武力抗争で曽我氏が勝利をして、593年に推古天皇が即位、聖徳太子が摂政になりました。

聖徳太子は、国を高めるために国力を富むらせるために仏教を奨励し、四天王寺や法隆寺、広隆寺などを建立し、寺院として貧しい人々の救済施設として利用しました。

遣隋使、遣唐使の派遣で七世紀中に漢訳されているお経は、ほぼ日本にもたらされました。お経が日本語に訳されない理由は、日本でお経の漢語を日本語に訳すことがままならない時代であったのと、お経の内容により、お経そのものが信仰の対象にされ、それがそのまま現在に続いているという事です。

宗派は、拠り所とする経典が違うため、それが分かれて宗派の始まりとなりました。

イラスト 山崎祥林さま
参考著書 お経が分かる本 双葉社
       お経の話 岩波新書 渡辺照宏